1984年11月28日、勢い込んで開店しましたが、わずか2日で店を閉めることになります。
物珍しさから、せっかく訪れていただお客様の多くが、自慢のスープのほとんどを残してお帰りでした。追いかけてわけを尋ねると「スープが濃すぎる」と皆さん仰いました。
九州で育った下川にとっては、この濃さ、野生味こそが豚骨ラーメンでしたが、当時の東京のお客様にはまったくといっていいほど受け入れていただけなかったのです。
下川やスタッフは打ちのめされました。ここまで一心に思い描き、生み出した味が否定されたのです。
しかし、立ちどまっているわけにはいきません。生活があります。
何より、このままでは「ブルカン塾」の子供たちに顔向けできません。

再度奮起し、師匠・野田利政さんに助言をこい、スープに鶏がらを加えたり、たくさんの野菜を加えたりと、工夫に工夫を重ねました。
その結果、口当たりのよい、まろやかな味の新しい豚骨スープを完成させることができました。
生まれ変わった「九州じゃんがら」一本で勝負することに決め、開店時にあった長崎ちゃんぽん、皿うどんはメニューから外すことにしました。
そうして、一時閉店から20日後に営業を再開させたのでした。