塾を開いて5年ほど、当時のブルカン塾には、日本の経済状況を反映し、月謝を滞納したり、夏の合宿代を捻出できなかったりと、貧しい家庭の子供が多くいました。
そんな時、厳しく催促したりはしませんでした。生徒が求めれば、いくらでも無料で補習をし、合宿代を払えない生徒は無料で招待しました。「ウチは他所の塾とは違う」と虚勢を張っていたのです。
しかし、スタッフにも生活があります。このまま破綻へ向かうわけにはいきません。
塾を存続させるためにどうするか、皆で考えました。空いた時間があれば知恵を絞り、とにかくあらゆる手段を考えました。
まず、塾とは別に事業を起こす方針が固まります。では、どんな事業を始めるか。
なんらかのフランチャイズかそれとも独自か、業種は何がよいか、当時の人員でどんな業務が可能かなど、様々な視点から意見が挙がる中、「九州ラーメン」と突拍子もないアイデアが下川から出たのです。
下川は東京生まれですが、小学校3年生の時に家庭の事情で熊本に移り住みました。そこで出会ったのが九州ラーメン。スープの色も麺の太さも当時の東京で主流のラーメンとはまるで異なりましたが、下川はとても気に入り、毎日のように食べていたのでした。
あの味を東京で提供できたら、きっと繁盛するに違いない。
作り方こそ分かりませんでしたが、ラーメンの「利き味」はできる自信があり、「思い描くラーメン像」もありました。
議論はさらに熱がこもり、やがて結論に至ります。
「よし、他にないラーメン店をやろう!」 そう皆で決断したのは 1984年の夏のことでした。