「ラーメンをやろう!」と決意した流れから、縁故を辿ってラーメンの師匠はすぐに見つかりました。その人は、野田利政さんという長崎卓袱(しっぽく)料理の料理人でした。
野田さんは腕一本で旅館などを渡り歩き、昭和天皇に料理を提供したこともある腕のいい板前さんです。
しかし、「ブルカン塾」を続けながらラーメンの修業をするために、野田さんには長崎の平戸から東京に来ていただく必要があります。
「もう歳だから東京なんて行けないよ」と渋る野田さんを下川はなんとか説得し、ご夫婦で上京していただきました。
そして秋葉原に、元はスナックだった店を借り、修業の場としました。修業期間は1日に15~16時間。それが6週間に及びました。

修業を終えて出来あがったスープに「九州じゃんがら」と名づけました。
少年時代に毎日のように食べた九州の味を再現しました。
名前の由来は長崎の「平戸のジャンガラ」という伝統行事(※)です。
1984年11月28日、ついに「九州じゃんがら 神田本店(現・秋葉原本店)」が開店しました。

関わった全員が無我夢中で辿り着きました。
「ラーメンをやろう!」と決意した日から開店までの期間はわずか3ヶ月でした。
短期間で店を立ち上げられたことに実感を持って驚いたのは、実はずっと後になってからです。

※「平戸のジャンガラ」は国指定の重要無形民族文化財です。