当時のブルカン塾には、日本の経済状況を反映し、月謝を滞納したり、夏の合宿代を出せない貧しい家庭の子供が多くいました。
そんな時、厳しく催促したりはしませんでした。生徒が求めれば、いくらでも無料で補習をし、合宿代を払えない生徒は無料で招待しました。
「他所の塾とは違うぞ!」と目一杯突っ張っていたわけです。

しかし、スタッフにも生活があります。
そこで、塾を存続させるためにどうするか、皆で考えました。空いている時間を使って、とにかくあらゆる方法を考えました。
塾とは別に仕事をしようと決まります。
具体的には、ビデオ店やアイスクリーム店、クリーンニング店、お墓の掃除なんてアイデアも挙がりました。
そのなかで「ラーメン」のアイデアが下川から出たのです。
下川は東京生まれですが、小学校3年生の時に家庭の事情で熊本に移り住みました。そこで出会ったのが九州ラーメン。スープの色も麺の太さも東京とは異なりますが、下川はとても気に入り、毎日のように食べていたのでした。
作り方こそ分かりませんが、ラーメンの「利き味」はできる自信がありましたし、「思い描くラーメン像」もありました。
「よし、ラーメン店をやろう!」皆が決断したのでした。